こんにちは、マイステージアンバサダーのフミです!
高校2年生の時にオーストラリアに11カ月間、高校留学した体験談をお伝えします!!
自己紹介
名前:フミ
出身地:長野県生まれ埼玉県育ちの純日本人
オーストラリアでの滞在都市:ゴールドコースト、アデレード、メルボルン、その他田舎など多数。留学中はホストファミリーのチェンジを3回経験。
趣味:走ること、文具集め、観光
留学時期:2018年1月18日~12月8日
留学に行くことを決めた経緯
ほとんど海外に出たことのない私が、なぜ長期のオーストラリア留学行こうと思ったのか、その理由は、大きく分けて2つあります。
1つ目は、英語が好きだったからです。
学校での成績も良い方でモチベーションを高く保っていたのと、海外にも関心がありました。
また、友人がインターナショナルスクールに通っていて英語が上達していたのを頭の片隅で羨ましく思っていました。
2つ目は、日本の高校では刺激が足りないなと感じていたからです。
私が通っていた高校は進学校で、毎日たくさんの課題をこなす必要があり、課題に追われた生活をしていました。
自分の心のどこかに、このまま高校生活が終わってしまうのは嫌だという思いがあり、留学をしたいと思うようになりました。
すぐに留学のエージェント探しを始め、相談にいきました。
留学が決定するまでの道のりと決定してから実際に留学するまで
私は高校2年生の時に留学することを考えていて、高校1年生の夏ごろに両親に留学したいという旨を伝えました。
すると両親は二つ返事で「いいよ、行ってきなさい」と、留学に賛成してくれました。
両親の賛成を受け、どこの国に行くのか検討を始めました。
最初に、行く国を決めないと、それに合わせた勉強や準備ができません。
現地の高校の新学期に合わせて、留学先を決める必要がありました。
日本は新学年が4月から始まりますが、国によって新学年が始まる時期は違います。
高校を卒業後は、日本の大学に進学することを決めていたので、受験勉強などいろいろなタイミングを考慮して、
1月から新学期が始まるオーストラリアへの留学を決めました。
留学先や時期は、留学後の予定を考慮してから決めるのがおすすめです。
留学先の国を決めた次は、留学のための試験勉強が必要となります。
私の場合、交換留学のプログラムを選んだので、無条件に留学することができるわけではなく、英語の試験で一定の点数を取らないと留学に行くことができませんでした。
日本ではあまり馴染みがないELTiS (English Language Test for International Student)という試験を受けました。
ELTiSは交換留学に行く人はほぼ必ず受けるテストです。
私はこの試験で一定のスコアを取得するために一生懸命寝る時間を惜しんで英語の勉強をしました。
マイステージでは、それぞれの目的や希望、語学力に合わせて留学をコーディネートしてくれるので、
上記のテストが必要でない場合もあるので安心してください!
最適な方法で語学力アップを目指しつつ、充実した留学生活を送れるようにサポートしています。
当時、私はがむしゃらに勉強し、ELTiSで一定のスコアを取得し、オーストラリアへの留学を勝ち取りました。
留学中の現地での生活
ホストファミリー
ホストファミリーは、家族によっては子供やペットがいたり、共働き夫婦や老夫婦、シングルマザーなどさまざまで、
過ごし方も家族によって変わってきます。
最初に滞在したホームステイ先はゴールドコーストのファミリーで、年配のアメリカ人マザーとオージーファザーの夫婦でした。
子供たちはすでに独立していて、ホストマザーは私が滞在していた期間にたまたまアメリカに帰国していたので、ホストファザーが滞在中のケアをしてくれました。
ホストファザーは生粋のオージーで、空港に出迎えてもらった初対面のときは、
初めて一人で海外に来た緊張と、オーストラリアのアクセントの英語が全然聞き取れず、まともに会話ができませんでした。
彼らはたくさんの留学生の受け入れ経験があり、私の滞在中も、ドイツ人留学生が一緒に住んでいました。
最初の頃は、英語がまともに話せないのはまだ環境に慣れていないからだと自分に言い聞かせていたのですが、
いつまでたっても英語がスラスラ出てこず、何か話を振られても挙動や言葉がおかしくなり、まともに会話ができない日々が続きました。
とても悔しかったのを覚えています。
一緒に住んでいたドイツ人の留学生はホストファザーと簡単に楽しそうにコミュニケーションをとっているのに
それが自分には出来ず、私は自分の英語力の足りなさを痛感しました。
それからは英語を本腰を入れて勉強しなくてはと思うようになりました。
ホームステイの自分の部屋にも勉強するための机と椅子がありましたが、あえてそこでは勉強せず、積極的にリビングで勉強しました。
こうすることでわからないことがあったらホストファミリーに質問ができるし、会話する機会もたくさん取れると考えたからです。
このおかげで、夕食後などにコミュニケーションをとる時間がだいぶ増えました。
ホストファザーはとてもフレンドリーで、週末はゴールドコースト周辺の観光地にたくさん連れて行ってくれました。
私のゴールドコーストでの生活は2ヶ月ほどで終わり、南オーストラリア州へ移動しました。
ホームステイ先は、州都アデレードから車で4時間の田舎に住んでいる家庭で、散歩に出かけるとカンガルーに出会えるような土地です。
家の敷地が日本では考えられないくらい大きく、ホストマザーとアジア系のホストシスターと一緒に生活をしました。
ホストマザーはキリスト教(プロテスタント)を信仰しており、毎週日曜日は地元の教会に行っていました。
この頃になってくると自分の英語にも少し自信がついてきて、割と積極的に自分から会話ができるようになりました。
長期休みはいろんなところに連れて行ってもらい、メルボルンに連れて行ってもらった時のことは印象深く残っています。
その後、また別のホームステイ先へ移動しました。
このホストファミリーは2つ目のホストファミリーと同じ地区に住む、共働きの夫婦と、私より8歳ほど下の子供のいる家庭でした。
ホストファザーはイングランド、マザーはスコットランドの出身でした。
この時期、自分のコミュニケーション不足で生活に困るということはほとんどなくなっていましたが、留学当初と変わらずリビングルームで勉強をするようにしていました。
ファミリーはキリスト教プロテスタントを信仰している家庭でしたが、毎週日曜日に教会に行くようなことはありませんでした。
宗教的価値観は家族によってだいぶ異なるということをホストファミリーを3回変えた経験から学びました。
学校生活
オーストラリアの高校は、日本のように高校1年生、2年生、3年生という言い方はなく
代わりにYear10, 11, 12という言い方をします。
私は高校2年生の時に留学をしたのでYear11に配属されました。
クラスの人数は科目によって前後しますが、多くても20〜30人くらいだったと思います。
クラスメイトも様々なバックグラウンドを持つ人たちで構成されていて白人、有色人種、難民、孤児など様々です。
授業スタイルは日本のように先生が一方的に教えるだけという授業はほとんどなく、生徒と教師の距離が近く授業中にコミュニケーションをとりながら進行していきます。
授業中に生徒と教師が議論を突然始めるなんてこともしばしばです。
学べる科目は日本とほとんど同じで、国語(英語)、数学、理科、社会、体育、音楽、美術、情報、演劇、家庭科、環境学などが学べます。
日本の高校と違い、オーストラリアの高校で体育は必修ではない場合が多いです。
ゴールドコーストの学校にいるとき体育でサーフィンを選択することもできました。
また、国語(英語)や数学の授業は生徒のレベルに合わせていくつかコースが設定されており、自分に最適な学びの機会を得ることができます。
日本の高校では学年ごとに受ける授業が決まっていて、授業の理解が十分に進んでいなくても学年が上がれば次の単元に進めますが、
オーストラリアでは自分のレベルに合わせて英語や数学を学べるため1年下の学年の生徒と一緒に勉強するなんてこともあります。
私は英語の授業と専門用語が多い歴史の授業は予習・復習に多くの時間を要するため、苦労したのを覚えています。
やはり、単語を少しでもたくさん学んでから留学すると現地での生活が楽になると思います。
通学方法は生徒によってまちまちですが、徒歩、自転車、スクールバス、電車、トラム、親の送迎などが多かったです。
中には自分で自動車を運転して学校まで登校してくる学生もいました。日本ではみられない光景なので、初めてみたときはびっくりしたのを覚えています。
公立の高校と私立の高校を比べたとき、やはり私立の学校の方がよりアカデミックな教育をしているという印象があります。
私が留学途中から通った私立の高校はICTを積極的に活用した授業をしており、生徒全員が一台以上のラップトップあるいはタブレット端末を持っていました。
私立の学校に行くことを希望している人は特にラップトップを持っていくといいかもしれません。
放課後の過ごし方
オーストラリアの高校には放課後のクラブ活動というものは基本的になく、放課後のんびりしたい学生にはうってつけだと思います。
クラブ活動などはありませんが、代わりに地元のスポーツクラブに入ったり、友達と遊ぶなどして放課後の時間を使うことができます。
私が、ゴールドコーストにいたときは頻繁に友達とビーチに行って遊んでいました。
田舎にいたときはあまり遊べる場所もなく、家で課題などをこなしたり、ホストファミリーと過ごすことが多かったです。
友達・同級生
仲のいい友人を作ることは留学をする人なら誰もが目標にすることだと思います。
私は留学当初とても人見知りで友達が少なく留学生活が楽しくないと思う期間がありました。
そんな私でも留学後半には仲のいい友人ができて、外国人の友達を作るという留学中の目標の一つを達成することができました。
友人たちの国籍はドイツ、ブラジル、ボリビア、フランス、フィリピン、オーストラリアなどです。
友人が作るために私が実践したことは、
①自分から積極的に話しかけてみる
②が難しい場合には人の多いところに行って、話しかけてもらうのを待つ
③日本人と一緒にいないようにする
④挨拶を誰とでもできるようにし、話しやすい雰囲気を出す
これをするだけで私は現地の子と話す機会が増え、友達も結果的に増えました。
スタディーツアー
私は留学の中盤に留学生を対象とするアウトバックツアーに参加しました。
このツアーはアデレードを出発後、バスで数日かけてオーストラリア大陸の中心に位置する
ウルル(エアーズロックとも言いますがオーストラリアの人は先住民への敬意を込めてウルルと呼ぶことが多いです)まで行くというものです。
自分と同じような境遇にある留学生を対象とするツアーだったため、友達が非常に作りやすかったです。
もっと外国人の友達が欲しいと思っている人に留学生向けツアーはぴったりだと思います。
最後に:留学して良かったこと
マルチカルチャーな国オーストラリアに留学して良かったと思う点の1つ目は様々な価値観を受け入れることができるようになったことだと思います。
オーストラリアは移民によって構成されている国で、日本ではなかなか出会わない様々なバックグラウンドを持った人たちと生活することで、
今まで知り得なかった価値観などと出会うことができました。何かと多様性の重要性が叫ばれる今日、それを当然のように受け止められる自分がいます。
2つ目は、海外の友達ができたということです。日本人以外で気さくに話せる友達がいると日常がちょっと楽しくなります。
3つ目は、オーストラリアから帰国後、日本の魅力を再認識できたということです。やはり、自分の国に帰ってくると安心します。
街も便利で国土の広いオーストラリアと違い、日本では外に出れば基本なんでもすぐ手に入ります。
帰国直後に食べた日本食には感動したのを覚えています。
オーストラリアでの食事も美味しかったけど、日本食が一番かなって思いました。
帰国後最初に口にした食べ物は味噌汁でした。日本を誇りに思う気持ちが高まったと思います。
4つ目は両親のありがたさについて気づくことができました。
家庭によりますが、オーストラリアでは高校生くらいの年齢になるとほぼ大人扱いされることも多々あり、自分でするべき家事は日本にいた時より増えました。
今まで両親(特に母)に頼りっぱなしだった私にとっては、留学を通して親のありがたさを実感することができました。
留学後は両親への感謝の念が絶えません。
最後に、自分の英語への自信がつきました(特にコミュニケーション)。
留学する以前は、自分の英語にあまり自信がなかったのですが、留学後は自分から積極的にコミュニケーションを取ることが全く怖くありません。
現地の学校で生活しているうちにボキャブラリーも増えました。留学で身につけた英語は受験勉強でも役に立ったと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。留学に興味のある方の参考になったなら幸いです!!!
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この記事の執筆者: Fumitaka
マイステージアンバサダーのFumiです。
自分の高校留学の体験をもとに、留学に興味がある方の背中を押すことができたらと思っています。
高校留学では大変なこともありましたが、それ以上に素晴らしい経験ができたので
高校からでも留学ができることを伝えていきたいです。